【真作】掛軸 杉聴雨『三行書』茶掛け 紙本 肉筆 共箱付 大好評 掛け軸 a08117
商品概要
商品の説明■■■商品説明■■■書の内容は不明です。大正乙卯(大正4年/1915年)五月十日、杉聴雨こと杉孫七郎子爵の八十歳時の直筆作品です。真作保証。【ご参考】杉孫七郎 (すぎ まごしちろう)1835年2月13日(天保6年1月16日)-1920年(大正9年)5月3日日本の武士・長州藩士。明治・大正期の官僚。諱は重華。字は子華。通称は徳輔・忠次郎・少輔九郎。号は松城・聴雨。■ 略歴植木五郎右衛門の次男として周防国吉敷郡御堀村(現在の山口県山口市)で生まれる。母は周布政之助の姉である。杉考之進盛倫の養子となり、藩校明倫館で学んだ他、吉田松陰にも師事した。藩主の小姓を務めた後、1861年(文久元年)、藩命により江戸幕府の遣欧使節である竹内保徳・松平康英らに従って欧米諸国を視察する。帰国後、下関戦争では井上馨とともに和議に尽くし、元治の内乱では高杉晋作を支持しつつも、保守派との軍事衝突には最後まで反対した。四境戦争では長州軍の参謀として活躍した。明治維新後には山口藩副大参事となる。廃藩置県後の1871年(明治4年)、宮内大丞、秋田県令を歴任後、再度宮内大丞を務める。1874年(明治7年)に宮内少輔、1877年(明治10年)に宮内大輔、1878年(明治11年)に侍補を兼務、後に皇太后宮大夫に転じる。明治17年から同20年まで皇居御造営事務局長をつとめる。1887年(明治20年)に子爵に叙せられる。1897年(明治30年)に枢密顧問官に転じた。大正9年まで枢密顧問官をつとめ、その間、明治31年から同33年まで東宮御所御造営局長をつとめる。書にも優れていた。墓所は青山霊園立山墓地。杉聴雨墓と刻まれている。以上、略歴引用<状態>経年の汚れ、シミ、シワがございます。(写真参照)状態は画像でご判断お願い致します。商品は画像のもので全てです。こちらは品になりますので、充分ご理解のうえご購入よろしくお願いします。■■■サイズ(実測)■■■本体:長約199cm 幅約65cm商品の情報カテゴリーホビー・楽器・アート > 美術品・アンティーク・コレクション > 書 > 掛軸商品の状態やや傷や汚れあり発送元の地域大阪府
取扱説明書
関連商品
関連読み物
この商品の所属グループ